稲葉の沿革
地勢
矢田川中流域に位置する。
地名由来
地名は、天武天皇5年の新嘗祭に斎忌(斎庭)の稲穂を一之御前神社に積んだことから稲庭と称し、のち転訛したもの。
名所旧跡
白山古墳・古石塔・陶片散布地がみられる。天正12年4月、小牧・長久手の戦の時、徳川方は「其勢四千五百騎ニテ、稲場口江被遣」と、この軍勢はまず当地に遣わされたという(小牧御陳長湫御合戦記/大日料11‐6)。
地名の変遷
戦国期は尾張国春日部郡稲葉。江戸期は春日井郡稲葉村。明治13年東春日井郡に所属。明治22年八白村の大字となる。明治39年旭村、昭和23年からは旭町の大字。昭和45年~現在の尾張旭市の町名。昭和20年旭町本地ケ原、昭和45年尾張旭市西の野町・稲葉町・北山町・下井町・長坂町・上の山町・井田町となる。昭和57年北山町・西の野町と境界変更。
寺社
神社は、氏神の一之御前社、ほかに山神3・白山・西之宮神・洲原大明神・八幡・県神・神明があったが、のち明治44年一之御前社に合祀。
寺院は、臨済宗少林寺。
記録
「徇行記」によれば池は、あなた池上池・あなた池下池・神田池上池・神田池下池、用水は瀬戸川用水を利用、狩宿村の井田村杁より引かれた水は井田村を通り当村に送られた。明治18年、稲葉学校開設。明治39年稲葉小学校は旭第二尋常小学校となるが、同41年新居に移転。昭和46年、第一学校給食調理場完成。同52年稲葉保育園開園。同55年コミュニティセンター宮浦会館完成。『角川日本地名大辞典』抜粋