上半田川町の沿革
地勢
蛇ケ洞川上流域の山間部。
名所旧跡
縄文石器の出土地や中世落武者伝承、古窯址の分布など古い歴史をもつ。
地名由来伝
花川伝説に、蛇が淵の大蛇を射た血が3日3晩花柄のように流れ花川と呼ぶようになり、転じて半田川となったという。
地名の変遷
戦国期は半田川と称された。江戸期は、尾張国春日井郡上半田川村。明治13年東春日井郡上半田川村。同22年上品野村の大字となる。明治39年品野村。大正13年品野町。昭和34年瀬戸市上半田町となる。
記録
元禄年間に当村・下半田川村と美濃国笠原村(現:岐阜県笠原町)との間に村境・入会権をめぐる争論が生じ、同14年幕府の評定所へ訴え、尾張側の勝訴となった。村民はそれを記念して134段の石段を築き白山社を勧請、毎年6月22日には絵図びらきを行っている。
寺社
神社は、権現(金峰神社)・山神・白山。
寺院は曹洞宗吉祥寺(吉祥庵)頭痛を治す喜平治祭りで名高い。『角川日本地名大辞典』抜粋