川名の由来

川名の由来

川名の由来
 この川の河口の、旧)村名「大桑村」を冠した川名。

大桑川の概要
 一級河川・流長4.87km。岡崎市切山町に在る姫宮神社山頂を源頭に、下山地区黒坂町地内を流れる黒坂川・小松野町を流れる小松野川・和合町を流れる杣沢川を集めて大桑町地内で巴川に注ぐ流長56.43km・流域面積351.1㎢の一級河川で、三河湖の直下を流れる。

おおくわ(大桑)の由来
 一説、一番端(外側)に位置する村。当地は加茂郡の一番外側に位置し、額田郡との境に位置することから、大外側「おおそとかわ」⇒「おおくあ」⇒大桑に転訛したと推察される。
 二説、大きな桑の木があった。(設楽郡設楽町大桑村(旧足助荘地内)。
 三説、大きな開拓地を意味する大鍬かと言われる。『三州名倉』


<東大林町>

川名の由来
 この川が流れる、旧)村名「大林村」を冠した川名。

大林川の概要
 三河高原牧場を源頭に、大林町地内を南流し、西洞川と合流して大林橋辺りで巴川に注ぐ準用河川。

おおばやし(大林)の由来
 官が植林した地を林という地方が多く、大きな植林地を表現した地名か。


<野原町・高野町・宇連野町・阿蔵町>

川名の由来
 この川の河口の、旧)村名「野原村」を冠した川名。

野原川の概要
 一級河川・流長5.63km・流域面積22.3㎢。東加茂郡下山村と北設楽郡設楽町を境とする標高800~1,000mの尾根西斜面に発し、南西に流下して下山村野原の西で巴川に注ぐ。上流部を阿蔵川といい、阿蔵町地内を流れる滝沢川・猫田川、高野町地内を流れる保殿川・高野川を合流して野原川に合流する。また宇連野町地内を流れる・吉平川・奥山川が野原川に合流する。また宇連野川下流端で東大林町地内を流れる西洞川・大林川が合流する。野原川は、名勝保殿の七滝で知られる美しい渓流を持つが、谷はそれほど深くなく谷底の開けた所は水田化され、周囲の山地は小起伏の高原であり、多くの支流はこの小起伏面上で水田を伴う。
 沿線に保殿の七滝・野原川マス釣場・愛知県総合射撃場が在る。『角川地名大辞典』

5.(3).2) 野原川

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<野原町>

川名の由来
 この川の河口の地名、旧)野原村字「根山」を冠した川名。

根山川の概要
 作手村との境界峰を水源に字根山地内を西流し、三河湖に注ぐ谷川。

ねやま(根山)の由来
 峯山・尾根山を略した地名。


<額田郡(岡崎市)と加茂郡(豊田市)との郡界>

川名の由来
 加茂郡(豊田市)と額田郡(岡崎市)の郡界を流れる川。

郡界川の概要
 一級河川・流長23.7km。
 豊田市下山地区蘭町に源を発し、田折町・蕪木町・花沢町・長沢町で郡界に至り、岡崎市岩津町付近で巴川に合流し、豊田市渡合町・岡崎市細川町で矢作川に合流する。
 沿線の豊田市松平地区滝脇町地内には二畳ケ滝・石御堂が、岡崎市岩津地内には奥殿陣屋が在る。

6.(7) 二畳ヶ滝(郡界川)


ガラ紡川名の由来
 一説、作手村コウズ地区で巴のように大きく曲流することから付けられた川名。『川名大辞典』
 二説、三河湖の上流、新城市作手村に巴山EL719mがあり、この山名に由来する。巴山は三河三大河の水源で、東征する日本武尊が巴状に水が流れ行く様を見て巴山と名づけたという(宮崎村誌)。
 三説、下山地区羽布町(三河湖)を源頭に北流し、足助地区飯盛山を北端に南西に湾曲し岡崎市との境界で矢作川に合流する川の容姿が巴の様だと表現した川名か。
 なお、豊田市巴町は昭和61年に成立した町名であり、巴川を冠した町名である。

巴川の概要
 南設楽郡作手村の盆地中央部に豊川水系の巴川との分水点があり、ここから川は北東に向かい作手村善夫地点で北西に方向を変え、東加茂郡下山村を抜けて同郡足助町に入り、神越川を合わせて足助川合流点で大きく南西に流れを変え、豊田市に入り、仁王川・滝川・郡界川を集めて矢作に注ぐ。下山地区平瀬町あたりから足助地区足助町にかけての峡谷は、こもでしの滝や香嵐渓の名勝を有し、愛知高原国定公園の一部をなす。

巴川の舟運
 巴川の水上運送は江戸期から大正初期まで盛んに行われた。舟運は矢作川河口から平古(豊田市松平地区岩倉町)・九久平(豊田市松平地区九久平町)までで、特に三河湾産の塩を信州まで運ぶのに利用された。竹木の管流し・筏流しも盛んで、足助・九久平・平古で荷揚げや組直しが行われた。

巴川利水の歴史
 明治10年代から始まった水車利用のガラ紡工業は、巴川と支流の郡界川・滝川・仁王川沿いで第2次大戦後盛んになったが、昭和30年代から急速に衰退した。巴川には明治41年から大正9年にかけて、巴川・盛岡・賀茂・足助・白瀬に水路式発電所が建設された。矢作川合流点の手前には細川頭首工があり、農業・工業・生活用水を採っている。下山村の平瀬、足助町の一の谷、豊田市の松平には毎夏ヤナ場が設けられ、観光客を集めている。『角川地名大辞典』

巴山伝
 巴山村は、額田郡の三河山地南部、男川・乙川に挟まれた山間地に位置する。夏山・千万町・木下の3か村が合併して成立。東端にある巴山は三河三大河の水源で、東征する日本武尊が巴状に水が流れ行く様を見て巴山と名づけたといい(宮崎村誌)、村名もこれにちなむ。明治23年栄枝村と改称。現)岡崎市千万町町巴山。

5.(2).1) 栃立町を流れる巴川-1


<大河原町>

川名の由来
 旧)大河原村を流れる2つの沢(大沢・大河原ノ沢)の大きい方の沢を言う。

大沢川の概要
 大河原村の中心部を流れる「大河原ノ沢」の少し上流にある沢で、大河原川に注ぐ小さな沢。


<大河原町>

川名の由来
 この川が流れる、旧)村名「大河原村」を冠した川名。

大河原川の概要
 葛町を源頭に、大河原町地内を西に流れ矢作川に注ぐ準用河川。合流地点の矢作川には阿摺発電所がある。

おおかわら(大河原)の由来
 オオ(大)・カワラ(河原)は、好字二文字の地名文化作法による瑞祥地名で、矢作川と大河原川が合流する所に河原がある村を表現したと思われる。


<大河原町>

川名の由来
 この川の河口の地名、旧)大河原村字「大摺」を冠した川名。

大摺川の概要
 大河原村地内の字大摺地内を東から西に流れ、矢作川に注ぐ渓流。

おおすり(大摺)の由来
 一説、木材を流送するに、山から摺り下ろすことから付けられ、山の北側には摺小川が流れており、摺村も存在することから、瑞祥してオスリ(大摺)としたか。
 二説、当地の地質は、花崗岩の風化したマサ地帯であり、ガリ浸食の多い地域なので、山崩れ地帯を表現した地名か。


<中立町>

川名の由来
 この川の河口の地名、旧)中立村字「山沢」を冠した川名。

山沢川の概要
 三ツ足川と平行して山沢地内を北流し、摺小川に注ぐ谷川。

やまさわ(山沢)の由来
 表記文字の通り、山の中の沢地を表現した地名。