井戸洞 いどほら
<牛地町>
川名の由来
この川が流れる牛地村字和戸の人たちが、この洞の水を生活用水に使用していたことから「井戸洞」と呼ばれるようになったと推察する。
洞の概要
中切川とほぼ平行して、ダム湖の真ん中辺りに注ぐ谷川で、国道356号線に堤沢橋が架かる。
<牛地町>
川名の由来
この川が流れる牛地村字和戸の人たちが、この洞の水を生活用水に使用していたことから「井戸洞」と呼ばれるようになったと推察する。
洞の概要
中切川とほぼ平行して、ダム湖の真ん中辺りに注ぐ谷川で、国道356号線に堤沢橋が架かる。
<牛地町>
川名の由来
この川が流れる所の呼称地名「中切」を冠した川名と推察される。
川の概要
駒山の西麓を水源に、奥矢作湖の中ほどに注ぐ谷川。ダム湖左岸を通る国道356号線に中切橋が架かる。
<牛地町>
川名の由来
この洞筋に不動尊が祀られている洞と推察する。
洞の概要
駒山の西麓を水源に、奥矢作湖の中ほどに注ぐ谷川。不動洞・井戸洞の真ん中を流れる谷川。
<牛地町>
川名の由来
駒山867mを水源にする川。
駒山川の概要
駒山の北麓を水源に、矢作ダム湖に注ぐ急峻な谷川。
こまやま(駒山)の由来
山頂にある小馬寺に由来する。小馬寺は、臨済宗妙心寺派、山号は円通山。寺伝では、役小角開創で、長く天台宗であったが、延宝年間に臨済宗に転じたといい、山内に12坊があったという。明応9年の棟札写には「当寺中興開基礼叟了義叟」とあって(小馬寺文書/県史料叢刊)、この頃禅宗寺院となっており、本尊もこの頃の作である。毘沙門天像・不動明王像の延徳3年の銘文に美濃国岩村の賀藤延家、武節(稲武町)の河手貞吉が檀那とあって、当寺の隆盛がうかがわれる。『角川地名大辞典』
<牛地町>
川名の由来
大きな沢を流れる川の意。
大沢川の概要
駒山867mの北麓を水源に、矢作ダムに注ぐ谷川。対岸に奥矢作森林塾レクリエーションセンターがあり、炭焼き体験など山里生活体験が出来る。
<明賀町>
川名の由来
この川が流れる村名「明賀村」を冠した川名。
川の概要
下明賀地内を北に縦走し、小渡地内で介木川に合流する準用河川。
あすが(明賀)の地名由来
安住の地「安宿」を意味した明日賀と推察される。足助町と同意。
参考
アサカ・アスカ:近畿に多い。[浅香・浅嘉・安積・朝香・浅坂]:①アソ(水の浅い所)。②スカ(アは接頭語)。[飛鳥・明日香・安宿]一説に安宿(アスカ)で安住の地。「飛鳥」と書くのは「飛ぶ鳥のあすか」という枕詞から。『地名の語源』
<万町町>
川名の由来
この川が、矢作に注ぐ介木川の河口の近くを流れる川から付けられた川名。
川の概要
介木川の河口右岸2kmの位置を流れる川で、旭高原元気村の森林域を源に、柿平川と平行に流れ、介木川に注ぐ小川。
<万町町>
川名の由来
この川の河口の地名、字「柿平」を冠した川名。
川の概要
旭高原元気村の森林域を源に、字柿平地内を西流し介木川に注ぐ小川。
かきだいら(柿平)地名の由来
定かでないが、柿地名は、傾斜地を掻いて整地した、あるいは山が欠かれて(崩落して)崩落土砂が平坦に堆積した所を表現した地名と推察される。
<万町町>
川名の由来
この川の河口に建つ寺(曹洞宗増光寺)の脇を流れることから付けられた川名。
川の概要
旭高原元気村の森林域を源に、西流し万町町地内の寺脇を流れ、介木川に注ぐ小川。
<余平町>
沢名の由来
この沢の流れる所の地名、余平村字「本郷」を冠した沢名。洞よりも小さな方を沢と呼ぶ。
本郷沢の概要
旭高原元気村の山林地帯を水源に、余平村字本郷地内を流れる小川。