地名の由来

地名の由来

地勢
 巴川の支流朝日川流域に位置する。

名所旧跡
 井ノ口城跡があり、「三河国二葉松」は戸田右衛門尉忠勝を城主と伝えるが不詳。

地名の変遷
 江戸期は三河国加茂郡井ノ口村。明治11年東加茂郡井ノ口村、同年追分村の一部となる。平成19年から豊田市井ノ口町となる。

寺社
 広見神社がある。

参考
 朝日川(巴川支流)<石野地区野口町~足助地区井ノ口町>参照

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地勢
 巴川の右岸、黍生山EL374.4mの南麓に位置する。

旧跡
 黍生山上に黍生城跡がある。山田重長が治承年間尾張国から移住して築いたといわれ、平家方によって落城したとの伝えもある(足助町誌)。

地名の変遷
 江戸期~三河国加茂郡近岡村。明治11年東加茂郡に所属、同年追分村の一部となる、同22年盛岡村の大字となる。昭和30年からは足助町の大字。平成19年から豊田市近岡町となる。

地名の由来
 表記文字のとおりお城に近い丘の所を表現したと思われる。


地勢
 足助川右岸に位置する。

地名の変遷
 江戸期は三河国加茂郡今朝平村、明治11年東加茂郡に所属。同22年足助村の大字今朝平となる。明治23年からは足助町の大字今朝平。平成17年から豊田市足助町となり今朝平は抹消。

記録
 天保7年加茂一揆が押し寄せ、染屋・車屋が襲われた。足助の町へ続く東の入口として若干の商家があった。昭和50年代になって足助保健所・名古屋法務局足助出張所が設置された。

遺跡等
 縄文時代の今朝平遺跡からは後期の配石遺構が発見され、土偶はじめ多くの遺物が出土している。「三河志」に今朝平村古屋敷があり、原田権左衛門の名が記されるが、真弓山山麓の字八万に位置したこと以外は不詳。


 室町期三河国加茂郡室平村。明治11年東加茂郡に所属。同年室口村の一部となる。

初見
 「応永三十年癸卯霜月吉日、三州足助宮平光勝庵公用」とあり、光勝庵は当地にあった神宮寺の前身かという(足助町誌)。神明社、浄土宗正覚院がある。


地勢
 足助川左岸の山上に連なる小起伏面に位置する。

地名の由来
 合併した室平村・足口村の各1字をとった合成地名。

地名の変遷
 明治11年、東加茂郡〔室平村と足口村〕が合併して室口村成立、同22年金沢村の大字室口となる。明治39年賀茂村、昭和30年からは足助町の大字室口。平成17年から豊田市室口町となる。

記録
 昭和47年シクラメンの温室栽培を始める。


地勢
 足助川の支流、怒田沢川流域の山麓の傾斜地に位置する。

地名の変遷
 江戸期は三河国加茂郡怒田沢村。明治11年東加茂郡に所属、同22年賀茂村の大字怒田沢となる。昭和30年からは足助町の大字怒田沢。平成17年から豊田市怒田沢町となる。

寺社
 諏訪神社があり、境内に回り舞台・奈落を備えた農村舞台がある。


地勢
 足助川上流域の山麓の傾斜地に位置し、集落は上切・中切・下切に分かれる。

名所旧跡
 縄文時代の滝脇遺跡・上貝戸遺跡・日影遺跡・大屋敷遺跡・中切遺跡がある。

地名の変遷
 江戸期は三河国加茂郡川面村、明治11年東加茂郡川面村、同22年賀茂村の大字川面となる。昭和30年からは足助町の大字川面。平成17年から豊田市川面町となる。

寺社
 上切に上切大明神、中切に津島神社、下切に白山神社を祀る。寺院は曹洞宗竜宝寺があり、開基清室宝泉知識は慶長20年没。正保3年八桑村大鷲院宝山和尚が寺を建立して中興開山と伝える。


地勢
 足助川右岸と支流菅生川流域に位置する。

地名の変遷
 明治11年東加茂郡〔市ケ瀬村・足原村・須田村〕が合併して竜岡村成立。明治22年賀茂村の大字竜岡となる。昭和30年からは足助町の大字竜岡。平成17年から豊田市竜岡町となる。


地勢
 足助川の支流菅生川流域の山麓傾斜地に位置する。

地名の変遷
 明治11年東加茂郡東丹波村と上垣内村が合併して二タ宮村成立。明治22年賀茂村の大字二タ宮となる。昭和30年からは足助町の大字二タ宮。平成17年から豊田市二タ宮町となる。


地勢
 足助川の支流菅生川流域の山麓の傾斜地に位置する。

地名の由来
 合併した玉ケ瀬村と永野村の各1字をとった合成地名。

地名の変遷
 明治11年東加茂郡の玉ケ瀬村と永野村が合併して玉野村成立。明治22年賀茂村の大字玉野となる。明治26年一部(江戸期の永野村)が分離して大和村永野となる。昭和30年から足助町の大字玉野。平成17年から豊田市玉野町となる。