三箇町の沿革
地勢
矢作川支流犬伏川に注ぐ木瀬川上流域に位置する。
名所旧跡
縄文時代の訳地遺跡・中畑遺跡があり、訳地と菅平に各1基の宝篋印塔がある。
地名の由来
集落が、上切・中切・下切の3つの島(集落)からなることに由来する。
地名の変遷
江戸期、三河国加茂郡三箇村。幕府領・旗本久永氏知行を変遷。
明治11年西加茂郡に所属。同22年高岡村大字三箇となる。明治39年藤岡村大字三箇、昭和53年藤岡町大字三箇。平成17年豊田市三箇町となる。
寺社
慶昌寺は元亀2年の創建と伝え、享保19年月船漂光を招いて再興。本尊は天文11年銘の十一面観音菩薩。八柱神社は天正3年の創建といい、境内に「安政三丙辰晩春,奉再建拝殿一宇」の棟札がある舞台が作られた。文政11年岩村街道沿いに「右かきの道 左なごや」と刻んだ馬頭観音を建立(藤岡村誌)。