御立町の沿革
地勢
矢作川左岸、挙母面段丘の傾斜面から越戸面に位置する。
地名の由来
中世の高橋荘の荘館があり、御館が転じたものといわれる。
名所旧跡
市塚古墳・市塚北古墳がある。
地名の変遷
江戸期は三河国加茂郡御立村。明治11年西加茂郡御立村、同22年野見村大字御立、同39年高橋村大字御立、昭和31年挙母市大字御立、同34年豊田市大字御立、昭和34年10月豊田市神池町・御立町となる。同50年一部が美里となる。
寺社
正徳2年の寺社書付帳には、浄土宗極楽寺・薬師堂・十王堂・大明神(鷲取神社)・神明社2社・弁財天を記す。
記録
明和4年の矢作川大洪水ののち、東方の高台に集落が移ったという(高橋村誌)。