西田町の沿革
昭和43年~現在の豊田市の町名。もとは豊田市西田新郷。
西田新郷(にしだしんごう)
猿渡川沿岸の低地に位置する。地名の由来は、鴛鴨の西にあたる水田地帯であることからという(高岡町誌)。
江戸期、三河国碧海郡西田新郷。慶安年間頃に鴛鴨村の中尾氏が来住して以来、開拓農民が四方から移り住んで開発。寛文4年鴛鴨村から分村。開村時には木 曽福島からも百姓を招致した。岡崎藩領・幕府と岡崎藩の相給を変遷。寛文6~8年に大風池が築造され、当村はじめ上村、槌木新郷、国江村の296石余の地を灌漑したが、このため大林村の田地が水湿地となり、永く争論となっている(豊田市史)。
寺社
八幡宮は寛文4年の創立と伝える(高岡町誌)。浄土宗阿弥陀律寺は、明和7年阿弥陀堂として創建され、弘化2年本堂を修築するとともに阿弥陀律寺と改称した(同前)。
行政地名の変遷
明治22年竹村の大字となる。明治39年高岡村、昭和31年高岡町、同40年からは豊田市の大字。昭和43年西田町となる。